デュオステージ後楽園の質問・見学・物件詳細を知りたい
物件概要
物件種目 | マンション | ||
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建物名 | デュオステージ後楽園 | ||
間取り | 1K~2LDK | 面積 | 30.22m²~55.5m² |
建物構造 | RC | 建物規模 | 地上15階 |
総戸数 | 42戸 | 築年月 | 2004年09月 |
所在地 | 文京区小石川4-1-12 | ||
交通 |
東京メトロ丸の内線 「後楽園」駅 徒歩10分 東京メトロ南北線 「後楽園」駅 徒歩10分 都営三田線 「春日」駅 徒歩12分 都営大江戸線 「春日」駅 徒歩12分 |
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小学校 | 金富小学校 | 中学校 | 茗台中学校 |
駐車場 | 有 | ||
自転車置場 | 有り | ||
バイク置場 | 有り 要空き確認 | ||
建物設備 | エレベーター , オートロック , 宅配BOX , 防犯カメラ , TVインターホン , 駐輪場 , バイク置場 , インターネット対応 , CATV , BS , CS | ||
情報更新日 | 2016年10月18日 |
ペット相談可能物件!近隣にはスーパーや複合商業ありとても便利!
文京区小石川の賃貸マンション「デュオステージ後楽園」。
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★ 後楽園・春日について ★
○ 後楽園の由来
水戸徳川家の庭園、小石川後楽園に由来しています。
またこの辺りの住所「後楽」も同じ由来です。
○ 春日の由来
徳川3代将軍家光の乳母であり、大奥の制度を確立した人物春日局(かすがのつぼね)に由来しています。
幕府の使者として天皇に拝謁するなど政治家の素養もあり、初期の徳川幕府を安定させた、立役者の一人と言える人物です。
寛永七年(1630年)彼女の屋敷地と共に、御付の下男30人の給地として与えられた土地が、春日の起こりとなります。
○ 後楽園・春日周辺
◆ えんま通り商店街
小石川のえんま商店街は江戸時代より源覚寺(こんにゃくえんま)の門前町として栄えた文京区内でも歴史ある商店街です。
東京ドームの北側に位置します。
この商店街の由来である「こんにゃくえんま」で知られる「源覚寺」を中心とした商店街です。
以前はもっと大きな商店街でしたが、現在では商店街がマンション等に置き換わり、以前の賑わいは失われつつあります。
文京区が「文化財」として特に指定しているこの源覚寺の「閻魔木造坐像」は鎌倉期の作と伝えられ、寛文12年、今からおよそ330年前、最後の修繕をしたことが記録に残っています。
宝暦(1751~1764)のころ、眼病を患う一人の老婆が、その好物の「こんにゃく」 をたって一心に持病の平癒を祈願したところ、大王が老婆の身替りとなってみずから片目を盲目とさせられました。
すると老婆の片目は以前ににまさって視力を回復したと伝えられたことから「こんにゃくえんま」あるいは「身替りえんま」と呼ばれるようになり、特に眼を患う人たちの信仰を集めました。
今日、大王の右眼だけが光を失っているのは、この故事に基づくものです。
◆ 東京ドームシティ
水戸徳川家の上屋敷跡地に作られたものです。
以前は「後楽園遊園地」と呼ばれていました。
東京ドームシティ(とうきょうドームシティ, TOKYO DOME CITY)は、株式会社東京ドームが運営し、東京ドームや東京ドームシティアトラクションズ(旧後楽園ゆうえんち)・後楽園ホール・ラクーア・東京ドームホテルなどの施設で構成される都市型総合エンターテインメント地区の名称です
以前は東京ドームの愛称「BIG EGG」に因んで BIG EGG CITY(ビッグエッグシティ)と称していたが、2000年1月1日に現在の名称に改められました。
2003年に入浴施設を中心とした商業施設ラクーアがオープンし、それ以降は「観る」「遊ぶ」「くつろぐ」が揃ったアーバンリゾートシティと称しています。
年間約3500万人が訪れる人気エリアです。
◆ 小石川後楽園
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させたものです。
7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がっています。
また中国の文人たちが好んで歌った西湖や廬山も採り入れています。
光圀は朱舜水を設計に参加させたといわれていて、中国的、儒教的な趣好が濃厚です。
1869年(明治2年)の版籍奉還により藩主徳川昭武が邸宅とともに新政府に奉還し、そののち東京砲兵工廠の敷地の一部として陸軍省の所管となりました。(この名残で現在でも砲兵工廠の遺構のいくつかを園内で見ることができます)
1874年(明治7年)以降、明治天皇の行幸および皇族の行啓を受け、外国人観覧者も多く、世界的にも名園として知られるようになりました。
1923年(大正12年)3月7日、国の史跡および名勝に指定された。指定の際、岡山市の後楽園と区別するため「小石川」を冠しました。
1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定され、都立公園として整備、一般に公開されています。
◆ 小石川植物園
正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」といい、東京大学の附属施設の一つで、植物に関する様々な研究を行っています。
東京大学の付属施設ですが、一般に公開されています。
元々は東京大学が開設した施設ではなく、江戸幕府によって開園された、小石川御薬園(こいしかわおやくえん)でした。
幕府は、人口が増加しつつあった江戸で暮らす人々の薬になる植物を育てる目的で、1638年(寛永15年)に麻布と大塚に南北の薬園を設置し、やがて大塚の薬園は廃止され、1684年(貞享元年)、麻布の薬園を5代将軍徳川綱吉の小石川にあった別邸に移設したものがこの御薬園です。
2012年(平成24年)9月19日に、「小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)」として国の名勝および史跡に指定されました。
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